御由緒

 当社の創建年代は詳細不詳ですが、旧摂津国東成郡友淵村(現在の毛馬町1丁目)に鎮座。平安朝の初期或いはその以前より友淵の地名が見え、口伝等によれば淀川河口に海賊を取締るための役人が配備され、それらの役人により全国の名だたる十五柱の神々を守護神として祀り、その名も十五神社と呼ばれていました。

 また旧摂津国東成郡毛馬村(現在の毛馬町4丁目)には八幡大神宮が鎮座、十五神社と同年代に奉祀せられたものと思われます。 
 
 永く地域の総鎮守として親しまれていましたが、残念なことに明治42年6月1日に八幡大神宮が、明治42年11月22日に十五神社に合祀許可発令が下り、政府の命令により、強制的に十五神社は旭区の大宮神社、八幡大神宮は都島区の桜宮神社に合祀されてしまいました。社殿はそのままで御神体のみ合祀となった十五神社と、社地社殿等一切を合祀した八幡大神宮。以来、心の拠りどころを無くした村人たち。八幡大神宮はなくなり、社殿のみ残った十五神社に村人たちは「村に社があって御神霊なし」と心淋しく自慰してきました。しかし、村の有志等が起ち上がり、熱心なご尽力により昭和28年10月22日、十五神社の社殿に念願の遷座祭を御斎行申し上げ、毛馬町・大東町・友渕町の総鎮守として今に至ります。

 また、氏子には俳句で有名な、与謝蕪村がおられます。生誕地の近くにはこの二社が御鎮座し、神社祭礼など幼少の頃より慣れ親しんだと思われ、村人たちの心の拠りどころであり、祭りは何よりの楽しみでありました。こういった環境の中、蕪村の感性が研ぎ澄まされたのではないでしょうか。

 御祭神は天照坐皇大御神・八幡大神・住吉大神・賀茂大神・廣田大神・松尾大神・熊野大神・稲荷大神・  三十川大神・春日大神・白山大神・大原野大神・子守大神・布留大神・生野大神の以上十五柱で、全国の名だたる神々をお祀りしています。

 時の流れに翻弄されながらも今もなお受け継がれ、先人たちが残したこの大切な神社と蕪村の御遺徳や俳句と共に、広く全国や世界各国の人々に知っていただきたいと思う所存でございます。